執筆者:Manuel Bruna
1960年5月18日にグラスゴーのハムデンパークで行われた決勝戦には127261人の観客が集まった。この試合でマドリードは7-3の勝利を収めたが、ファンのなかにはこの試合を史上最高のファイナルにあげる人々も少なくない。
ブランコスの7ゴールは、すべてフェレンツ・プスカシュとアルフレッド・ディ・ステファノの2人が生み出した。ハンガリー人が4ゴール、アルゼンチン人は3ゴールである。
18分にクレスのゴールで先制されたマドリードだが、25分と29分にディ・ステファノのゴールで逆転に成功すると、後半はさらに得点を重ねた。
この勝利で、ミゲル・ムニョスはレアル・マドリードの選手と監督の両方でチャンピオンズに優勝した初めての人間になった。ムニョスは現役時代に3度の優勝を経験したあと、指導者のデビューシーズンにこれを成し遂げている。
ちなみにこの大会の準決勝は、レアル・マドリードとFCバルセロナが史上初めてチャンピオンズで合間見えた試合だった。ベルナベウで行われた第1戦は3-1、カンプ・ノウで行われた第2戦も1-3でマドリードが勝利している。
この1959-60シーズンのレアル・マドリードは最強で、チャンピオンズでも優勝候補の筆頭に上がっていた。
