執筆者:Joan Poqui
モレノは数十年に渡ってムンドデポルティーボのフォトグラファーを務めた人物で、我々すべてのスタッフにとって非常に重要な存在だった。最近、新型コロナウイルスの感染が判明したが、すでにいくつかの病気で療養中だったため、最後は家族に看取られたという。
スペインのフットボール選手の多くが、優れた人間性を持ちユーモアを愛するモレノに惹かれていた。例えばドリームチームの選手たちは、ピッチでもトレーニング施設でも、まずモレノの姿を見ることが一日の始まりだったと語っている。
1982年ワールドカップではスペイン代表チームに密着していたが、ロベルト・ウファルテらはモレノのことを父親のように想っていた。またラファエル・ゴルディージョ、ディエゴ・マラドーナ、ヨハン・ニースケンスは、バルサでの最後の試合を終えたあと、自分のユニフォームを渡すためにモレノを探したという。
そのようにモレノを最も崇拝していた選手は多いが、なかでも特別なのはロボ・カラスコだろう。カラスコがバルサの下部組織で伸び悩んでいたとき、モレノは彼を自宅に招待して励ました。その後カラスコはバルサBを経てファーストチームにデビューしたが、そのときのことが忘れられないと語っている。
モレノは元々『Sport』創設メンバーのひとりだったが、80年代初頭に同紙を去り、我々ムンドデポルティーボに写真を提供するようになった。当時パニーニ社から発売されていた選手ステッカーの写真を手がけていたのも彼である。そして1991年にサンティ・ノージャが新編集長になると、モレノはムンドデポルティーボ専属カメラマンとして我々のファミリーに加わった。
モレノは2004年に引退したが、その2年後に100周年を記念して作られたDVD『Un Dia en Mundo Deportivo(ムンドデポルティーボの一日)』にも登場している。ムンドデポルティーボだけでなく、数々のメディア、さまざまな時代の選手たち、多くの人々があなたを愛している。

ムンドデポルティーボ
伝説の写真家ミゲル・モレノが死去
スペインのスポーツジャーナリズムは、この時代に最も愛されたフォトジャーナリストのひとりミゲル・モレノ・ヒメネス(1942年1月14日グラナダ生まれ)の死に哀悼の意を捧げる。