執筆者:Xavier Bosch
それが最も強調されたのは、1961年にスアレスがインテルに移籍したときである。この件について、ルイジート(スアレス)本人が『Julia de Campany』に真実を明かしている。
「私をインテルに移籍させたのはクバラと言われているが、実際には彼は何も関係ない。カンプ・ノウの観客のブーイングが、私に退団を決意させたんだ」
また、入団したばかりのスアレスに対して、8歳年上のクバラが「自分がエースと思うなよ。まだまだ道は長いからな」と言ったというエピソードも否定した。
スアレスは言う。「1953年12月6日、私がデポルティーボのファーストチームでデビューした日だ。ラスコルツで行われたバルサ戦でハーフタイムを迎えたとき、我々のドレッシングルームにバルサの選手が入ってきた。クバラだった。彼は私を指差して、一緒にいた人間に"こいつだよ。この若者を急いで獲得してくれ"と言ったんだ」
その翌年の夏、バルサはデポルティーボのスターだったダゴベルト・モルを獲得するが、同時に当時19歳だったスアレスも獲得した。“衰えが見え始めていたクバラと、飛ぶ鳥を落とす勢いのスアレスの仲は悪かった“というのは、周囲の人間が思い込みで生み出したものに過ぎない。スアレスはそのように説明した。

歴史
バルサのレジェンド、クバラとスアレスの知られざる関係
1950年代のFCバルセロナを象徴する選手、ラディスラオ・クバラとルイス・スアレス・ミラモンテス。この2人については、これまで多くの記事がそのライバル関係を報じてきた。