執筆者:Xavier Munoz

 1980年2月10日に行われたクラシコで、このイングランド人ウインガーはマドリード在籍66試合のなかで最高のパフォーマンスを発揮した。この試合でカニンガムにゴールはなかったが、チームはガルシア・エルナンデスとカルロス・サンティリャーナの得点で0-2の勝利を収めている。

 カンプ・ノウでカニンガムへ大きな拍手が起きたのには、いくつかの背景もあった。まず、この試合のマドリードが非常に素晴らしかったこと。また30分に、メレンゲのゴールキーパーガルシア・ラモンがクレのフルバックアユトリ・セラを倒したが、マドリードのプレスでさえ認めたファウルに、ファンドス・エルナンデス主審がペナルティキックを与えなかったこと。これでバルサファンは試合を諦めてしまった。

 この試合について、『El Pais』のアルフレッド・レラーニョは次のように報じている。「バルセロナにペナルティが認められなかったが、マドリードが優位性を示していたので、彼らもスポーツ的に敗北を受け入れていた。この試合で最も輝いていたのはカニンガムだ。バルサファンにとって唯一の慰めは、カニンガムがボールを持つたびに素晴らしいショーを楽しめたことだった」また『Marca』は「恐ろしいカニンガム、バルサのスタンドからも賞賛される」という見出しをつけた。

 ムンドデポルティーボは「素晴らしかったカニンガム」というタイトルで、カンプ・ノウの観客がイングランド人に拍手を送った姿勢が模範的だったことを強調し、ファンドスがペナルティを見逃したことについては触れなかった。ちなみにこの数日後、ファンドス・エルナンデス主審はあのプレーがファウルだったことを認めている。

 黒人選手として初めてイングランド代表となり、1979年にウエスト・ブロムウィッチ・アルビオンからレアル・マドリードに移籍したローリー・カニンガム。マドリードには1984年まで在籍したが、その後のキャリアは決して順調とはいえなかった。マンチェスター・ユナイテッド、スポルティング・デ・ヒホン、マルセイユ、レスター、シャルルロワSC、ウィンブルドンFC、ラージョ・バジェカーノを渡り歩き、そのほぼすべてのクラブで負傷に悩まされている。

 カニンガムが交通事故で命を落としたのは、ラージョ・バジェカーノでプレーしている1989年7月15日。まだ33歳の若さだった。カニンガムはレアル・マドリードの歴史において、サンティアゴ・ベルナベウでなくカンプ・ノウで最も成功した選手だ。

MundoDeportivo編集部

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