執筆者:Javier Bosch

 バルサホームでのデビュー戦において、この若い日本人はクオリティの高いドリブル、興味深いパス、プレッシャーを受けてもボールを奪われないうまさを披露している。そして試合が終わると、ブーイングを受けた理由を理解していると語った。

 ラ・マシアに入り、カンテラでのゴールを量産したタケは、FIFAの制裁でプレーを禁止されたあとも1年間バルセロナに残った。帰国後にプロになり、そしてスペインに戻ってきたが、契約したのは永遠のライバルである。「将来の計画を立てていたマドリードとサインした」マヨルカにローン移籍したとき、久保はそのようにコメントした。

 バルサは彼を愛し、彼もまたバルサに戻ることを望んでいたが、最初のミーティングで誰もが越えられない壁に直面した。ラモン・プラネスとホセ・マリ・バケーロは、マヌエル・フェレールを筆頭とするタケの代理人からの要求が、彼らが提案していたバルサBの年俸とはかけ離れていたことを確認したのである。日本人サイドの希望は、年俸200万ユーロにエージェント手数料を加えたものだった。

 これに加えてもうひとつ落とし穴があった。この時点でバルサの外国人枠はすでに埋まっていたのである。ファーストチーム入りを望む選手には大きな障害だ。

 その後マウコムが移籍したことから、タケはバルベルデ率いるチームに入る可能性を得たかもしれない。しかしバルサは経済的要請に屈したくなかった。その結果、タケはマドリードとサインする。ネイマール症候群を抱えるフロレンティーノ・ペレスは、新しいメッシになる可能性を逃したくなかった。なにより、その原石がバルセロナに戻って磨かれることに耐えられなかったのだ。

 2人の若いブラジル人に信じられないような大金をつぎ込んだのもそれが理由である。マドリードはヴィニシウスにバルサのオファーの4倍、ロドリゴには2倍の金額を提示した。そして久保建英には、バルサが拒んだ要求を支払った。

 バルサとしては、経済的な枠組みのなかで管理されるラインを壊せなかった。6月に黒字転換を迫られていた財務部門が、必要以上に強いコミットメントを許さなかったのである。その結果、彼らはアンス・ファティに賭け、同時に久保を逃すことになった。

 タケはアイドルにメッシを掲げ、世界最高の若手にエムバペの名前を挙げる。日本とリーガで大きな注目を集め、YouTubeには多くの動画を残すだろう。将来、マドリードかマヨルカか、それとも別のチームになるかは分からない。予測できそうなのは、もしバルサがタケを獲得していた場合、アンスはまだファーストチームでデビューしていなかったということである。ラ・マシアでの実績を元に、ヨーロッパのビッグクラブからのオファーを集めていたのは、アンスとその父親になっていたはずだ。

 タケはカンプ・ノウでブーイングを受けた。それはただのカンテラーノがマドリードを選んだからではない。バルサはこれ以上ブーイングを受けるような選手を生み出してはいけない。強力な選手にはそれなりの大金が必要なのである。

MundoDeportivo編集部

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