その一方で、最初はイマイチでも、最終的にクラブの神話になったものも少なくない。最も有名な例はロナルド・クーマンだろう。1989年に入団してから1年間、クーマンは多くのバルサファンに、ディフェンダーに大金を費やしたことを後悔させた。

 しかしクーマンはバルサのリーガ4連覇の主役、クラブ史上初めてのチャンピオンズ優勝の立役者になる。1995年に退団するまでに記録した105ゴールは、ディフェンダーとしては驚異的な数字だ。

ロナルド・クーマン

 1974年に入団したヨハン・ニースケンスは、常にウーゴ・ソティルと比較され苦しんでいた。しかし、彼の献身的なプレーはやがてクレの心をつかむ。1979年の最後の試合、カンプ・ノウに「ニースケンス!ニースケンス!」の合唱が起きたとき、このオランダ人ミッドフィルダーの目には涙があった。

ヨハン・ニースケンス

 ドリームチームでクーマンのチームメイトだったミカエル・ラウドルップは、ユヴェントス時代に大きな活躍がなかったことから、そのバルサ入団は懐疑的な目で見られていた。しかし、クライフ監督の攻撃的なフットボールで徐々に結果を出すと、最終的にはレアル・マドリードのファンからも喝采を浴びるている。

ミカエル・ラウドルップ

 最近では3人のストライカーがバルサに馴染むのに苦しんだ。2004年、フランク・ライカールトが必死に守ったのがサミュエル・エトオである。当時のファンのお気に入りはヘンリク・ラーションであり、またエトオは元マドリードの選手だったからだ。そのエトオは2009年に退団するまで144試合で108ゴールを記録。リーガ2回、チャンピオンズリーグ2回の優勝を経験した。

 2007年に入団したティエリ・アンリも同じである。チームに馴染むまで時間を要したが、2010年に六冠達成メンバーとしてバルサを離れた。

 2014年に到着したルイス・スアレスは、"噛み付き"の制裁が解けたあと最初の6試合でゴールがなかったことで、多くの人々を不安にさせた。しかし現在までの185ゴールという数字は、クラブ史上4位の記録である。

ルイス・スアレス

 ダニ・アウベスは、2008年から2016年まで23個のタイトルを獲得した。だが、最初の2ヶ月間は、セビージャに支払われた移籍金3600万ユーロを理解できるものはほとんどいなかった。

 以上の歴史から、アントワーヌ・グリーズマンにもこれからバルサで大成する可能性は十分にある。アトレティコ・マドリードでも入団時は控え要員で、退団するときは世界的なクラックになっていたのだから。

MundoDeportivo編集部

著者プロフィール MundoDeportivo編集部