執筆者:Oscar Zarate
歴史的を振り返っても、マドリードには晩年に救われなかったレジェンドが少なくない。あのアルフレッド・ディ・ステファノでさえそうだった。ことの発端は1964年にウィーンで行われたUEFAチャンピオンズカップ決勝戦。インテルに3-1で敗れたあと、ディ・ステファノはミゲル・ムニョス監督のアプローチを痛烈に批判する。
すると3日後に行われたコパ・デル・レイ準決勝アトレティコ戦、ディ・ステファノは先発を外された。サンティアゴ・ベルナベウ会長はムニョスに激怒したが、38歳のディ・ステファノの衰えは明らかであり、監督はチームの活性化を説いた。自身が必要とされなくなったことを悟ったディ・ステファノは、自らエスパニョール移籍を希望する。
ディ・ステファノは1966年に40歳で引退。1967年6月、マドリードはチャンピオンズカップ王者セルティックとの親善試合にディ・ステファノを招いた。ディ・ステファノは、サンティアゴ・ベルナベウに集まった12万人の観客の前で15分間だけプレーしている。
フロレンティーノ・ペレスは、自身が「ディ・ステファノの後継者」と呼んだクリスティアーノとの関係性を失った。マドリード史上最高の450ゴールを決めたこのクラックに対して、ペレスが簡単な別れの挨拶だけで見送るつもりだ。クリスティアーノは以下の選手たちに続くことになる。
フェルナンド・レドンド(1994-2000年所属)
通算228試合出場5ゴール
6つのタイトルを獲得
レアル・マドリード会長選に当選した10日後、ペレスはレドンドを3000万ペセタでミランに売却した。ビセンテ・デル・ボスケの要求を満たさないという判断だったが、この放出には多くのファンが憤慨。サンティアゴ・ベルナベウ周辺ではデモも発生している。退団に際し、レドンドは次のようにコメントした。「私は自分の誇りとマドリディスモを疑っていない。放出するのは間違いだ。しかし、彼らが私を愛していないのであれば、もう移籍を選ぶしかない」
フェルナンド・イエロ(1989-2003年所属)
通算601試合出場127ゴール
16のタイトルを獲得
イエロとペレスの衝突は2003年だった。ペレスが自分やデル・ボスケと契約更新しないと発表したことが引き金である。イエロはスポーツディレクターのホルヘ・バルダーノに面会したが、それでも状況は変わらなかった。マラガ出身のディフェンダーは、リーガ優勝後にシベーレス広場や市庁舎で行われたパレードも欠席している。
そのあと、レストラン『Meson Txistu』で29回目のリーガ優勝を祝うパーティが催された。イエロはここでペレスを激しく非難する。取締役会の前で面子を潰されたペレスは、翌日イエロとデル・ボスケの退団を発表した。イエロはカタールのアル・ラーヤンに移籍。翌年ボルトン・ワンダラーズでプレーしたあと、2005年に現役を引退している。
ルイス・フィーゴ(2000-2005年所属)
通算245試合出場58ゴール
7つのタイトルを獲得
2000年夏にバルサから当時史上最高額の6000万ユーロで移籍したフィーゴは、フロレンティーノ・ペレスの重要な資産だった。だがそれから5年後、このポルトガル代表はインテルへ移籍する。「会長が私を望んでいないことに耐えられない。私はマドリードのためにベストを尽くし、タイトルも獲得した。それなのにクラシコでは何の説明もなくベンチに座らされた。何が変わったのか分からない。フロレンティーノは、マドリードの選手に敬意を払っていないと思う」フィーゴはそのようにコメントした。
インテル入団記者会見で、フィーゴはこのロンバルディアのクラブの「偉大さと威信」を強調したあと、マドリード加入時に「ペレスに自分がマドリードでプレーするために生まれた」と伝えたことを明かしている。一方で、「私はイタリアでプレーできることを光栄に思っている。キャリア最後のクラブとしてここで頑張りたい」と語り、4年後の2009年にインテルで現役を引退した。
ラウル・ゴンサレス(1994-2010年に所属)
741試合出場323ゴール
16のタイトルを獲得
永遠のキャプテンは、冷め切った記者会見でシャルケへの移籍を発表したあと、静かにマドリードを去った。ペレスはクラブ史上最もゴールを決めたカンテラーノ(下部組織出身者)を残留させることに、何の熱意も注いでいない。ベルナベウの貴賓席で行われた記者会見のあと、スタンドに集まった500人のファンはペレスにブーイングを浴びせた。
2013年、レアル・マドリードは当時ラウルが所属していたアル・サッドをサンティアゴ・ベルナベウ杯に招待。ラウルは最初の45分をマドリードでプレーし、退団時から続いていたショックを終わらせた。ラウルはレアル・マドリードでのデビュー戦から21年後、2015年11月にニューヨークコスモスで現役を引退している。2017年6月にはホセ・アンヘル・サンチェスの補佐でマドリードに復帰した。
イケル・カシージャス(1999-2015年に所属)
725試合出場
19のタイトルを獲得
レアル・マドリードで25年間を過ごしたあと、ゴールキーパーはクラブ関係者を伴うことなく、単独で記者会見を行った。涙を浮かべながらマドリードに別れを告げるその姿は大きなニュースになった。あわてたクラブは翌日にセレモニーを準備。カシージャスが冷めた笑顔で役員たちに挨拶するなか、出席者からはペレスに向けて「辞めろフロレンティーノ」「フロレンティーノは最低な男だ」という野次が飛んでいる。
その後、ペレスは「移籍はカシージャスが望んだことで、クラブはそれを認めたに過ぎない」と主張。退団試合については、「カシージャスから引退時の方が良いという申し出があった」と語っている。

クリスティアーノ・ロナウド
クリスティアーノはフロレンティーノと決別する7番目のアイドル
フェルナンド・レドンド、フェルナンド・イエロ、ルイス・フィーゴ、ラウル・ゴンサレス、ホセ・マリア・グティエレス、イケル・カシージャス・・・。彼らはレアル・マドリードのアイドルでありながら、いずれもフロレンティーノ・ペレスとの関係が破綻した選手たちである。いくつかの例外を除き、そのほとんどが賛辞や感謝の気持ちを受け取らないままマドリードを離れている。そしてその最新の例はクリスティアーノ・ロナウドになりそうだ。