攻守にわたってアトレティコを苦しめたこのベルギー代表について、ワンダ・メトロポリターノの観客も大きな好奇心を持ったようである。ファンたちはナインゴランのプレーだけでなく、タトゥーなどその特徴的な容姿についても熱心に話していたそうだ。ここではラジャ・ナインゴランについて12の興味を話そう。

1 そのルーツ

 ナインゴランはベルギーのアントウェルペンで生まれた。父親はインドネシア人で母親がベルギー人だ。ラジャには双子の姉がいる。父親マリアヌス・ナインゴランはラジャが3歳のころに家を去った。

2 母親は天使

 ラジャにとって、母親リジーの存在は何よりも重要なものだった。その母親が2010年にこの世を去ったとき、ラジャは背中に母親の名前、その命日、2つの大きな翼のタトゥーを入れている。父親マリアヌスが失踪したあと、リジーは女手一人で3人の子供たちを育てた。その暮らしは困窮を極めていたという。貧しい生活のなか、リジーは子供たちにカトリックの教えを説いた。また、複数の言語も教育したことから、ラジャはフランス語、オランダ語、英語、イタリア語を理解する。

3 姉のひとりもフットボール選手

 ラジャは2011年5月3日にクラウディアと結婚した。2012年にアイシャ、2016年にマイレイという2人の娘が生まれている。ちなみに双子の姉のひとり、リアナもフットボール選手だ。昨シーズンまではセリエAのレス・ローマに所属していたが、今シーズンからは室内フットボール競技に転向している。

4 タトゥーへの情熱

 ナインゴランは自分の体をタトゥーの博物館にしている。大きなスペースを占めているのは、母親リジーに関するものだ。当初、その内容は名前と命日だけだったが、数年後には天使の翼やバラの花束、十字架が加わった。首や胴体には蛇が覆い、英語のメッセージ、2人の娘の名前、中国語のことわざ、カリアリ時代のチームメイトから付けられたニックネーム"NINJ4"などがどんどん増えた。すでにお尻もいっぱいで、残されたスペースは足の一部分だけである。

5 イタリアでの成功

 ラジャは5歳のとき、姉に連れられて入った地元クラブでフットボールを始める。10歳で当時ベルギー1部だったジェルミナル・ベールスホットのユースチームに入団。フットボール選手を目指して努力を続けたが、母親を失望させないために勉学にも手を抜かなかったという。2005年にイタリアのピアチェンツァに移籍すると、2010年にカリアリ、2014年にローマへ移籍した。

6 "ニンジャ"の由来

 ラジャは"ニンジャ"というニックネームで呼ばれている。積極的な姿勢、スピード、ダイナミックさから、カリアリ時代に付けられたものだ。ユーティリティプレイヤーで、中盤のどのポジションでもプレーすることができる。

7 チェルシーへの"No"

 2016年の夏、ラジャのチェルシー移籍が噂された。クラブ間では合意寸前だったそうだが、ラジャが拒否したことで破談になったという。「これまでの人生において、自分の道は自分で決めてきた。私の目標はローマでのタイトル獲得することだ。このクラブにはとてもお世話になっているから、受けた恩を返すまで去ることはできない」当時、ラジャはそのように語っていた。

8 ベルギー代表

 ラジャはベルギー代表でも全力でプレーしたが、いくつか不運な瞬間も経験している。2014年のワールドカップで最終選考に漏れたときは、ベルギー国内でも大きな論争に引き起こした。代表監督がマルク・ヴィルモッツからロベルト・マルティネスに引き継がれたあとも、代表チームに召集されたりされなかったりが続いている。今年の8月26日には代表引退を発表しているが、その後いくつかの親善試合には召集された。

9 ユヴェントスを憎む

 彼がイタリアで敵視するチームがユヴェントスだ。数ヶ月前、ラジャは次のように語っている。「すべてはカリアリ時代に始まった。エリア外のファウルだったのに、ユーヴェがペナルティキックを要求したら、それが認められるんだよ。そのほかにも明らかにおかしなジャッジがたくさんある。しかし、ユーヴェに有利な判定は絶対に覆らない。だから、ユーヴェ戦でゴールを決めると2倍気持ち良いのさ」 

10 テロリストに間違えられる

 2015年11月、アントウェルペンのラディソン・ホテルに滞在していたラジャだが、同ホテルの複数の宿泊客から"タトゥーがたくさんあって、帽子を深くかぶったテロリストのような人物がいる"と通報された。地元警察が駆けつけると、母国代表選手のナインゴランだったというオチだ。警察官はラジャと記念撮影をして帰ったという。

11 喫煙者

 ラジャが喫煙者であることは周知されている。あるインタビューで「喫煙を恥ずかしいことだとは思っていない。隠れて吸ったこともないよ。子供もいるし、お手本にならないといけないとは思っているけど、フットボールに影響ないから問題は無いと思っている」と語っていた。

12 ルーツを訪問する

 2013年6月、ラジャは生まれて初めてインドネシアを訪問した。このとき、同国の青少年育成スポーツ大臣にも任命されている。当時のインタビューでは、自分にインドネシア人の血が流れていることを実感したと語っていた。

MundoDeportivo編集部

著者プロフィール MundoDeportivo編集部