フットボール選手としてあらゆるタイトルを勝ち取った37歳は、すべての夢が叶ったと感じている。「自分が一番好きなフットボールで、家族や友人をサポートすることができたのは幸運だった。7歳のときからずっとプレーしてきたけど、フットボール以外の人生もあることも知り、今はそれを最大限に楽しんでいるんだ」

 ロニーは現在、世界中の子供達のためのフットボールアカデミーや、彼がこのスポーツと同じくらいの情熱を注ぐ音楽活動に専念している。

グアルディオラ、エトオとの良好な関係

 半年前にムンドデポルティーボの独占インタビューを受けた際、クラックはバルサ退団の理由を自分で下した決断だったと答えていた。「バルサで叶えたい夢はもうすべて実現させていたから、新しい目標が必要だったんだ」

 ロナウジーニョのチーム残留を望んでいたペップ・グアルディオラについては「いつも優しく接してくれる人だった。彼の弟ペレがナイキで仕事をしていたため、私はペップのこともよく知っていた。私は誰とでも、包み隠さず率直に話をする人間だよ」と話している。

 今回のインタビューでは、退団を決意した理由にも改めて触れている。「勝利を求めてプレーすることに疲れていたんじゃない。誰でも同じだと思うけど、何か新しいこと、新たな目標が必要だったんだ。立ち止まることなく、前に進みたかった」バルサに残れば、より多くのタイトルを手にするチャンスがあったのではないかと聞かれると「フットボールの世界で常に勝ち続けることはできない。タイミングがある」と話した。

 また、2007年2月13日にビジャフランカでサミュエル・エトオが、ロナウジーニョが自分のように練習しないと発言したことについて、「私はその発言に同意しないけど、我々の関係は良好だよ」と、当時のバルサの9番との関係にも言及した。

ガスパチョの夜とベルナベウでの0-3

 ロナウジーニョは数多くのバルサでの思い出の中から、デビューした日のことを完璧な夜だったと振り返った。彼が初めてカンプ・ノウのピッチに立った2003年9月3日のセビージャ戦は、代表戦の関係により深夜0時5分にキックオフとなった。

 深夜の試合を盛り上げるためにクラブからファンにアンダルシア名物のガスパチョ(冷静スープ)を振る舞われたことで、"ガスパチョの夜"と呼ばれる試合だ。「私はガスパチョが何なのか分かっていなかった。周囲がガスパチョについて話をしていたことには気づいていたけど、"ガスパチョって何だ?"と思いながら、誰にも聞かずにただ黙っていたんだ」ロナウジーニョは笑みを浮かべながら話している。

 また、サンティアゴ・ベルナベウのクラシコに0-3で勝利したことも、アスルグラナでの忘れられない瞬間のひとつだろう。「とても美しい試合だった。ベルナベウでのクラシコで、拍手される喜びを味わえるような選手は多くないと思うよ。私以外ではマラドーナだけだったはずだ。一生忘れることのない瞬間だったね」

メッシとは固い友情で結ばれる

 バルサ在籍時に師事をしたフランク・ライカールト監督に対しては、称賛を送っている。「いつも我々に落ち着きを与えてくれていた。自分のキャリアでも最高の監督だった」

 ロナウジーニョはメッシについても口を開いた。「トップチームに上がってきたときには、まだ"小さなお友だち"という存在だった。でも今はとても大切な友人だよ。偉大な選手で、素晴らしい人間でもある。彼の初ゴールをアシストすることができてとても嬉しかったよ。当時から、みんないつか彼が世界一の選手になると思っていた。彼の今の姿をとても嬉しく思うし、これからも世界最高であり続けてくれることを願っている」

 メッシをそのように褒め称えるロニーだが、"歴史上最高"という表現は避けている。「フットボールというスポーツは、その時代に対応しているものだ。ペレはペレの時代を作り、マラドーナやロマーリオも同様であったと思う」

 またロナウジーニョは、これまで在籍した全てのチームで愛情を感じ、素晴らしい思い出を得ることができたという。しかし、バルサだけはやはり特別だったようだ。「バルサは私にとって、自分のホーム以上の存在だ。これまでも心が離れたことは一度もないよ」

 また親指と小指を立てた有名なポーズについては「サンバのグループが振付としてこのジェスチャーをやっていたんだ。そこからもらったのさ」と明かしている。

悲しまれるサンドロ・ロセイの件

 最後にロナウジーニョは、自身をバルサに呼んでくれたサンドロ・ロセイ元会長の逮捕について、沈痛な思いを明かしている。「とても悲しい気持ちだよ。実際、ことの経緯などは詳しくはわからない。でも彼を知っている全ての人は、とても辛い思いを抱いていると思う」

MundoDeportivo編集部

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